33歳オタクの妊娠日記

ビギナー妊婦が自分を奮い立たせるための記録

出産レポート

0930〜1030

猛烈な腹痛に見舞われ、脂汗を流しながら一時間ほど耐えるが痛みが引かない。位置は胃と子宮底の境目あたりで、下腹部痛ではなかったため躊躇ったが、便通も普通だった為おかしいと思い分娩ダイヤルに電話。その日らちょうど午後に38wの健診予定だったので陣痛タクシーで前倒し診察に。陣痛と違って波がなくずっと痛かった為、着替えるのが非常に辛かった。


1100

診察。到着時点で一時間前のような腹痛はなくなっていた。すぐにNSTしたところ、定期的な張りがあったため、10分間隔の陣痛に該当すると言われる。女医さんに「明日産んじゃう?」とカジュアルに聞かれ動揺w

家に帰ってまたあの痛みに襲われるのは怖かったし、なにより臨月に入ってからとにかく身体が辛かったので「もう産むか!」と決意。翌日出産を目標に午後から入院となる。

旦那に連絡し、早退して来てくれる。

シャワーを浴び昼ごはんを食べて入院バックを持ち産院へ。


1530

行きの電車の中で「二人きりで電車に乗るのはきっとずっと先になるんだろうね。これからはベビーさんがずっとそばにいるんだね」と話し、センチメンタルになる。

産院に着き次第、子宮口がまだ1.5cmしか開いていないため、子宮頸管からバルーン挿入。痛すぎて呻いたら、院長先生「痛いですよね、そういうものです!」

……なかなかの鬼畜である。

このバルーン、常に股から棒が飛び出していて座れないのが困る。トイレも拭き辛くて怖い。ずっと血が出ているし、妊娠ですっかり忘れていた生理初日〜二日目くらいのなかなかな鈍痛に見舞われる。

そんな状態でとりあえず個室に到着。


1800

夕飯。まだよだれつわりげっぷつわり続行中のため食欲などなく大半を旦那に食べてもらう。この時点でなかなか下腹部が痛くて高熱が出てくる。38度ほど。食後は脱水防止の点滴開始。ここから産むまでずっとNST。10分間隔の陣痛。


2000〜2200

下半身が重く尿意が鈍り、自力でトイレに行けなくなる。人生初の尿道カテーテル。痛い。しかしそれ以上に痛いのが助産師さんの内診。子宮口の開きを診るために子宮頸管から触診するのだが、バルーンの棒が刺さったまま内診するので悶絶級の痛み。「まだ2cmかな〜」に絶望する。

この時点で3〜4分間隔の陣痛、高熱、開かない子宮口。この時間がとても辛かった。旦那はずっと付き添ってくれていたが、今夜は進まなそうだから一旦帰って休んでもらうことに。


2300

今夜中開かないと思っていた子宮口が4.5cmになり、無痛分娩の硬膜外麻酔を打つことに。一旦帰ってもらった旦那に急遽連絡。終電で病院へとんぼ返りしてもらう。分娩室に運ばれてバルーンを取り、硬膜外麻酔開始。まるまるのは苦しいけれど助産師さんがずっと手を握っていてくれて心強い。何より動いてはならないという緊張感で終わったらホッとした。痛みは別になく、ちょっとチクッとした程度。50分置きに麻酔を流す時、背中に冷たいものが流れてく感覚で不思議。


2400

旦那到着。分娩台の上で3分間隔の陣痛中だが、無痛のおかげでキュウキュウ張ってることしかわからない。全然痛くない。バルーンに耐えていた時間でもあんなに痛かったのだから麻酔の力がなければ発狂ものの痛さなんだろうなと震える。無痛にしてよかった。私に自然分娩は絶対無理だった。

麻酔の力であんなに痛かった内診も尿道カテーテルも無痛。医療の力素晴らしい。


0100〜0600

子宮口の開きが5〜6cmで停滞したので、旦那には個室で寝てもらい私は分娩室で少しでも寝るよう言われる。定期的に張るためあまり眠くならないが、時々ウトウト気絶する。


0700〜1000

子宮口7cm〜8cmで促進剤投与。

夜勤から日勤の助産師さんに交代し、挨拶。まだ笑う余裕があるが、促進剤を入れてから何故か右半身だけ麻酔の効きが悪くなってきて右半分に陣痛の痛み(むちゃくちゃに痛くて半身だからなんとか耐えられたレベル)左半身は何も感じないという恐ろしい状態になり、30分置きに麻酔投入。最悪硬膜外麻酔の位置をやり直すという話が出たが単純にアレをもう一度やるのが嫌だったのと追加料金の心配をして断る。


1100〜1300

子宮口全開。助産師さんにより破水。生温かい水がドバッと出る感覚。温水プールみたいだった。

しかしここから地獄のいきみタイムが始まる。恥骨が砕けるんじゃないかという陣痛が1分間隔(猛烈な便意に似てる)。麻酔しても普通に痛い。何故なら臓器の痛みはなくなるが骨の痛みには効かないからだ。でも麻酔がないと更になんらかの痛みが加わったのではなかろうか。そんなの無理すぎる。

いきみ始めたが子が降りて来てくれない。

全力のいきみを2時間続けて、体力限界。もうこの時点で外痔核は肛門科で治療不可避レベルになったと確信(→案の定、妊娠中に出来た小さな血栓ポン・デ・リング級になった)

あまりに降りてこないのと母体の体力が限界に近くなり、吸引分娩の準備も並行して進むが、辛すぎて過呼吸になり、全身がブルブル震え続ける。

 


もういやだ

つらい

くるしい

いたい

やめたい

しんじゃう

 


私はとにかく痛みを噛み締めて堪えるタイプだからか、産後「すごく静かだったね」と助産師さんに言われたのだが。そんな無言気味な私がこの地獄の二時間で顔をぐしゃぐしゃにしながら絞り出すように言った言葉たちだ。

旦那は朝からずっと手を握ったまま「あともうちょっとだよ!頑張れ!」と励まし続けてくれた。私があまりにも苦しむから旦那まで苦しそうな顔で。そんな顔させてごめんと思った。


もうなんでもいいから終わらせてほしいと逃げの思考にばかり取り憑かれる中、助産師さんの「絶対切腹させない。下から自然に産ませてみせる」の一言があまりにも格好良かった。この人に任せてとにかく頑張って産もうと思えた決定的な一言だった。


そしていきみ2時間越えの末、漸く子が頭を覗かせてドゥルンと出てきてくれた。

いきみすぎてどちらかというともはや肛門の痛みしかわからなくなっていたし「いきむのやめて!ハーッハーッよ!息を吐いて!」

と突然言われてうまく切り替えられず苦しかった。


こうして、娘は産まれてきてくれた。


出てきてすぐ産声をあげた我が子に、ひたすら放心。今まで見たこともないくらい号泣した旦那が、よく頑張ったね、ありがとう、ありがとうね、と繰り返し抱きしめてくれた。

妻が苦しみすぎて死んじゃうんじゃないかと思ったらしい。夫はなにも出来ない、応援しか出来なかった、無力だ、と泣きながら繰り返すから。そんなことない、ずっと側で手を握っていてくれて心強かったよ。と伝えたら更に号泣。そこで、私の目からも自然と滂沱の涙が流れてきた。二人で顔をぐちゃぐちゃにして泣いたのだった。

 

この人と結婚出来て良かった。

この人との子供を授かれて、無事に産めて良かった。


私はこの日のことを一生忘れないと思う。